言語と性差、構築主義
教養教育科目の「現代社会とジェンダー」は、5人の教員がリレー式で行っています。私は、今日と来週の2回、言語とジェンダーについて話します。今日は、言語と性差について、構築主義と本質主義の違いについて話しました。性差がアイデンティティの一部の属性としてあり、それが言語に反映される、というのが本質主義。それにたいして、言語行為を通して、その結果としてアイデンティティが作られていく、ジェンダーもそうやって作られるアイデンティティの一部、というのが構築主義。つまり、女性だから女性らしい言語形式(いわゆる「女ことば」を用いる、というのではなく、女性らしいと認識される言語形式(語彙、文法)を用いることによって、「女らしさ」を自ら作っている、というもの。
参考文献はこちら↓。
- 作者: 中村桃子
- 出版社/メーカー: 世界思想社
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ちょっと話はずれますが、普段は仕事用のパンツスーツを履いている女性が、シックにドレスアップしてワンピースなどを着ることを「女装する」とふざけて言うことがあるー、というのを読みました。私自身は、その表現は使いませんが、わかる気がします。これなども構築主義的なジェンダー観が反映されている、と言えるかもしれません。
現代社会とジェンダーで、言語とジェンダーについての講義を担当するのは、4回目(か5回目)だと思うのですが、最初の頃は、本質主義的なアプローチをしていました。ただ、それでは話していてもきゅうくつというか、限界が感じられ。構築主義的なアプローチをするようになってから、また言語とジェンダーという主題が、自分にとっておもしろくなってきました。(→前回は2年前、この講義を担当しました。そのときの日記はこちらとこちら)