現代社会とジェンダー討論会

今学期二回担当した(→担当回の日記はこちら)は教養教育科目の「現代社会とジェンダー」の最終回で、他の4人の講師の方々と合同で、「公開討論会」をしました。あらかじめ、受講生さんから意見、コメント、質問を提出してもらい、それをもとに、講師が質問に答えたり意見交換したりする、というもの。10分遅刻して申し訳ありませんでした。

発言したことの要点を一部ですが、書いておきます。

「男性の育児参加は可能か?父親も、母親と同じような信頼関係を子どもと築けるか?」という質問にたいしてはー。

「子育てとは何歳までか?自分の子どもは9歳、11歳になったが、まだまだ子育てまっさかりという気持ちである。(→後日付記。そして、今回5人の講師のなかで私だけが子育て真っ盛りだった。なので、当事者特有の自負と傲慢さをもって露悪的に発言した自覚はあります。)

子育て、というと、ケアする、サポートする、という側面が強調されるが、「全く新しい人間関係を築く」機会でもある。自分自身にとっては、完全に自分の意のままになる、つまり支配できる対象を得たのも、子育てであった。男性語の特徴とされる命令、断定、禁止の語尾なども、子ども相手に、感情が激した時に使うようになった。女性である自分でも、そういう権力の場が与えられれば断定的な、命令的な言葉づかいをするものだ、とわかった。(ほめられたことではないが、これまた事実として)。なので男性も、これまでなかった人間関係を築く場として、育児にかかわってほしい。きっと楽しいと思う。」

(→後日付記。今振り返ってみると、いやー、なんか誤解されそうな、虐待してるのか、ケンカ売ってんのか、みたいなものいいですが。。自分の回の講義で、男性語、女性語の話の構築主義、虚構性の話をしたので、それに絡めた発言です。いわんとするところが、受講生の一部にであれ、伝われば幸いです。念のため書いておくと、息子たちとは仲良しです。夫も育児家事それなりにやってます、私が一週間海外出張できるくらいには。)

「共働きについてどう思うか」とい問いについて。

「共働き」という言葉がなくなればいいと思う。共働きの反対ってなんですか?片働き?あまりなじみのない言葉ですね(実際には論文などでは使われます)。なぜ共働きの対になる言葉がなかったか。それは、父親だけが働くのがデフォルトで当たり前のこととしてあったから、だから、それとは違う、有標のmarkedな、なにか変った、奇妙な形、特別な形態として、「共働き」という言葉ができた。そして、今度はそれに対応する言葉がいる、ということで、逆戻りして「片働き」ができた。私は言語研究者なので、言葉からのアプローチで語ってしまうが、「共働き」という特別視するような言葉がなくなり、働きたいひとが働ける社会になってほしいと思う。

(→後日付記。これまた振り返っての感想ですが、実際、同世代のWMワーキングマザー友達のあいだでは、「共働き」ってことば、ほとんど出ないんですよねー。WM同士なんで、働いてるってのが当たり前だからなんだけど。学術用語としては、まだまだ普通に流通しているんでしょうが、日常感覚としては、私は違和感があります、トモバタラキ。)