『マダム・イン・ニューヨーク』と映画のちから

夏休み臨時卒論ゼミを行い、卒論準備中のゼミ生に経過発表をしてもらいました。そのなかで、『マダム・イン・ニューヨーク』をとりあげているひとがあり、引用個所をDVD鑑賞しながら議論しました。

英語ができないといって娘や夫からバカにされているインドの主婦シャシは、姪の結婚式で訪れたニューヨークで短期集中英会話教室に通い英語を学びます。そこで、クラスメートと一緒に映画に行って、ぼーっとしているところに、インドにいる娘から電話がかかってきます。その会話で、娘の心ない発言に傷ついたシャシは電話を切ったあと、苛立ち、怒り、悲しみをヒンディー語で、ヒンディーを理解しないクラスメートに語ります。クラスメート(ここはもちろん、フランス人優男!)は、シャシのヒンディー語を理解しないまま、今度はフランス語で返事をします。「相手の言っていることがわからないまま会話するのもいいわね」というようなことで心通いあういいかんじ。

その流れでカフェに入った二人は、注文するわけですが、シャシは、怒りのあまりほぼ無意識に英語でぺらぺらすらすらと飲み物のオーダーをします。映画の展開としては、この場面は、NYに来たばかりのときコーヒー店でシャシが店員の英語が全く理解できず恥ずかしい思いをしたところをこのフランス人男性が見ていて声をかけた場面と呼応するところです。また、英語が話せない、苦手、という自意識を忘れてしまえば、流暢に話せる潜在能力がすでに育っていたー、ということを示す場面なわけでもあります。うまいなあ。いい映画だなあ。と思いながら見ておりました。

ところで、ここで思い返したいのが、この場面、「クラスメートと映画を見に行った帰り」だということ。直近の娘とのけんかに気をとられてしまいますが、映画のあとであることが効いているんだと思います。自分でも実感があるのですが、集中して映画を見ると、その直後、英語を話すのが楽。ここでは物語上そういう描き方はしていませんが、でも、そういうことなんです、きっと。映画世界に没入すると英語力が乗り移る。そういうことを描いた場面だともいえるのではないでしょうか。