『声と文字』

『声と文字』(大黒俊二著、岩波書店、2010年)読了。声と文字の関係については、表音式綴り字の関連で特に関心をもっており、中世ヨーロッパを俯瞰する議論がとても勉強になりました。

目次
序章  シエナ、1427年8月15日第1章 ラテン語から俗語へバベルの塔の崩壊、ラテン語からロマンス語へ、ゲルマン語の発展、島の外国語)
第2章 カロリング・ルネサンスの光と影 (神の言葉のルネサンスカロリング・ルネサンスの光、カロリング・ルネサンスの影)
第3章 ストラスブールからヘイスティングス (なぜヘイスティングズなのか?。「両言語で」―ラテン語と古英語、分かち書きと黙読
間章  大分水嶺
第4章 実用的リテラシー (数の証拠、形の証拠、1427年フィレンツェ
第5章 声と文字の弁証法 (剣vs羊皮紙、記憶vs忘却、文字を知る人vs文字を知らぬ人)
第6章 遍歴商人からもの書き商人へ  (ゴドリクとギスツェ、シャンパーニュの大市、商人教育、もの書き商人)
第7章 文字のかなたに声を聞く (異端とリテラシー、説教本、声から文字へ―筆録説教、文字から声へ―範例説教、「オリジナル」とは何か)
第8章 俗人が俗語で書く二重言語体制のゆらぎ、ミクロ流通本、間接的リテラシー、旅の終わりに―二人のベネデット)
終章  母語の発見


英語との関連で興味深かったところ。

ストラスブールからヘイスティングスへ」の時代[=842-1066]、古英語の発展と分かち書きや木毒の拡大を追ってきて、あらためて浮かび上がってくるのは、イングランド・ベネディクト改革の存在の大きさである。「両言語」[=古英語とラテン語]教育も古英語の標準化も、また分かち書きと木毒の普及も、もとをたどればこの改革に発している。その意味では「声と文字」の発展においてイングランド・ベネディクト改革が果たした役割は、カロリング・ルネサンスのそれにも劣るものではない。この改革は通常はイギリス史か教会史の文脈で取り上げられるにすぎないが、「声と文字」という視点はこの改革が中世市場にもつ新たな意義を浮き彫りにしたといえよう。こうしてイングランドという北辺の島は中世初期に二度、すなわち8世紀は分かち書きの創出によって、10世紀はベネディクト改革によって、中世ヨーロッパの言語生活を大きく変えたのである。(p.101、[ ]引用者)

また、「声から文字へ」を論じるための重要な資料として繰り返し言及される1427年シエナにおけるベルナルディーノ・ダ・シエナの説教の筆録の紹介のくだりは、速記による記録という点も含めてたいへんおもしろい。

この筆録を遺したベネデット・ディ・マエストロ・バルトロメーオは、独自に考案した速記法で、説教師の語りを脱線や言い間違いから擬声語にいたるまで完璧に記録した。ベルナルディーノは、説教においてしばしば絶叫し(doh, oooooh)、詠嘆する(perchéee「なぜだー」、nonfaare「すーるな」)。perchéeeは説教師がperché(なぜだ)の語尾を、faareはfare(する)のa音を長く延ばして発音したことを表わしている。ベルナルディーノが物まねをしたときにはqua, qua, qua(カエルの鳴き声)、ca ca ca(ガチョウの鳴き声)のように、「クゥ」の音と「カ」の音をquaとcaで記し分けている。念をおしてゆっくりしゃべったときは、「い・く・じ・な・あ・し」pe co ro ro neのように音節を切り離して書きしるす。ベネデット筆録を読むと、アルファベットが発音記号であるという単純な事実―英語表記に慣れた者が忘れがちな事実―があらためて思い起こされ、彼が発音記号としてのアルファベットの表現力をフルに活用していることがわかる。同時にここでは、当時すでに定着していた分かち書きの手法が巧みに利用されている(pe co ro ro ne)点にも注意しておこう。(pp.215-26。太字強調引用者)

「刹那文書」(p.18-)の考え方が今日的な問題意識・電子媒体とも関連しそう。書蠟板や羊皮紙や紙に何度も書いては消された大量の文字、声と文字との中間に位置するものことを指して。

声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)

声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)