「ぼく」と「おれ」@ジェンダー論講義

先週に引き続き「現代社会とジェンダー」のリレー講義登板(→先週の日記はこちら)。「『男ことば』の構築」という主題で、特に、男性一人称代名詞(自称詞)の変遷と現在について話しました。参考文献は、ジェンダーで学ぶ言語学』(中村桃子編、世界思想社、2010年)のなかの中村先生の「ことばとジェンダーのかかわり」と金水敏先生の「『男ことば』の歴史―『おれ』『ぼく』を中心に」。

授業のはじめに、男性には、どんな自称詞をどのような状況で使うか、女性には、まわりの男性がどのような自称詞を使っているか、受講生のあいだを回って聞いみました。「おれ」「ぼく」「わたし」「自分」など。

次に、「ことばとジェンダーのかかわり」を手がかりに、言語とジェンダーの関係について「本質主義」と「構築主義」について概念整理しました。

構築主義ジェンダーアイデンティティの特徴は、大きく三つある。第一は、ジェンダーアイデンティティのひとつの側面にすぎないという点である。女性も男性も、常に「女/男らしさ」を表現するためにことばを使うわけではない。第二に、女性性/男性性には、女か男のどちらか(「二項対立」と呼ばれる)ではなく、たくさんの種類が想定されている。中学生の「男らしさ」と会社員の「男らしさ」が異なるように、ジェンダーは人種・年齢・職業・居住地域などと複雑に交差している。第三は、話し手に与えられたアイデンティティと言葉づかいを切り離している点である。以前は、女/男だから女/男らしい言葉づかいをするとみなされていた。しかし、構築主義によれば、だれでも女らしい言葉づかいと男らしい言葉づかいを使い分けており、どのような状況、目的でそのような言語行為を行うか、話し手の主体性を分析することができるようになったのである。

「ことばとジェンダーのかかわり」中村桃子(『ジェンダーで学ぶ言語学』p.11)

そのあとで、「『男ことば』の歴史―『おれ』『ぼく』を中心に」に沿って、「おれ」と「ぼく」の歴史と現在の使用状況について話しました。

現代の男ことばの言語資源は、江戸語を土台にし、書生言葉の流入によって形成され、マスメディアによって男性話者に固定的に割り当てられるようになった。とくに一人称代名詞「ぼく」は書生ことばを直接の起源とし、「おれ」と対比的に認識されるようになった。「ぼく」は知的エリート層のことばとしてとらえられる一方で、少年語にも流れ込み、少年小説や少年マンガで独特の発達を遂げた。「おれ」は、「ぼく」との対比のなかで非教養層のことばとしてとらえられることもあり、また、「ぼく」よりも積極的に男性性を表すことばとしても用いられた。またその場合、「ぞ」「ぜ」との併用が目立つ。近年では、「ぼく」がより子どもっぽい、弱々しいことばとして認識されるようになったこともあり、「おれ」がニュートラルな代名詞として勢いづいている。またかつて「ぼく」が占めていた位置の一部に、軍隊語に起源を持つ「自分」が進出しつつある傾向もみえる。

「『男ことば』の歴史―『おれ』『ぼく』を中心に」金水敏(『ジェンダーで学ぶ言語学』pp.48-49)。

ジェンダーで学ぶ言語学

ジェンダーで学ぶ言語学


最後に、事例研究ということで、映画「ハウルの動く城」のなかで登場人物たちがどのような人称代名詞を使っているか、実際に観察してもらいました。ハウルは最初登場したとき、ソフィーに向かって「わたし」を使い、そのあと「ぼく」に切り替えていること。カルシファー(火の悪魔)は「おいら」「おれ」など。マルクル(少年)が、老人に変装したときとの言葉遣いの切り替えについては、「役割語」の観点から。貴公子然としたハウルが18歳のソフィーに出会ったときは「あなた」と呼びかけているのに、90歳のソフィーに初対面時には「あんた」など。

…この映画を選んだのは、ハウルというキャラクターについて、英語版のピート・ドクター監督がインタビューで、金髪で細くて、effeminate(女々しい)、feminine(女性ぽい)で、アメリカには対応する男性キャラクター像がないので苦労した、と言っていたのを紹介して、男性性の文化差について触れたかったからです。で、あと、もちろん、わたし自身が好きなので^^(→ハウル日記はこちら)