『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』(岡田暁生著、中公新書、2005年)

「可能な限り一気に読みとおせる音楽史を目指し、専門用語などの細部には極力立ち入らない。そして何より、中世から現代にいたる歴史を「私」という一人称で語ることを恐れない」(ii)という方針の、西洋音楽史

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

おもしろかったです。 特に印象的だったのが、著者の想像力―こう書けば読者がぴんとくるはずという想像力。それから、音楽を言語化するときのわかりやすく、的確な比喩。これがあるから、19世紀ヨーロッパという、時間的にも空間的にも遠い主題を語っても、読者の「なるほど!わかるわかる」を引き起こすんですね。

「思うに古典派の交響曲―とりわけハイドンモーツァルト―の最大の魅力とは、この「公的な晴れがましさ」と「私的な親しさ」との均衡のことだと思う」(112)

「たとえばハイドンの音楽は、啓蒙の時代のサロンにおける、貴族と市民哲学者との対話を連想させる。辛辣で挑発的で、時に緊張をはらむことはあっても、それは決して宮廷マナーを逸脱することはない。チェスで知恵比べをするかのように、相手の意表をつくような手を打つ時でも(彼の交響曲はこうした不意打ちの要素に満ち満ちている)、絶えず口元には品のいい微笑を浮かべながら相手の出方を待つといった風なのだ。ベートーヴェンは違う。それはしばしば、ウィットというよりも、挑戦状を叩きつけるような、あるいは食って掛かるような調子になるのである」(122)

バロックと古典派の旋律の位置づけの違いについての図(p.74, p.102)がわかりやすかった。そうか、通奏低音ってこういうことなのかーと、ふにおちました。