『教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ』

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ』(本田由紀著、ちくま新書)をしばらく前に読みました。先日の朝日新聞書評にも載っていたので、思いだして読書日記。

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

著者の本は、『多元化する「能力」と日本社会――ハイパー・メリトクラシー化のなかで』(NTT出版、2005年)『「家庭教育」の隘路—子育てに強迫される母親たち』(勁草書房、2008年)をおもしろく読みました。(特に後者はとてもおもしろかったので、また別の日に)

今回の『教育の職業的意義』は、教育と労働が乖離していて、若者が詐欺にあったように放りだされているという現状がなぜ生まれたのか、ということと、それにたいして、教育の側から何ができるのか、という主題です。


こういう構成↓。(  )は私のメモです。
第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか (→若年労働指導の現状に基づいて議論)
第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」 (→歴史的経緯=高学歴化、高度経済成長下での労働力需要増のため、新卒一括採用)
第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性 (→他国との比較)
第4章 「教育の職業的意義」にとっての障害 (→導入されている「キャリア教育」は「生きる力」「人間力」系で、抽象的。どうやら、インターンシップともども、オープンキャンパスや模擬授業もここに入るらしい)
第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて (→「柔軟な専門性」を通じて、個人が社会へ<適応>し、適応しつつ<抵抗>する )


意義、はrelevanceの意味で用いているとのこと。「この本で示したような考え方、見方を肯定的に受け止めてくれる人々がいたならば、この考え方、見方を具体的な形にして広げ根づかせてゆくことに力を貸してほしいと思う」(223、あとがき) というメッセージが伝わってきます。ただ、論としてはとてもおもしろく読んだけれど、具体的な形にして根づかせてゆくこととの前に、立ち尽くしてしまうような本でもありました。


p.187の図5−1 戦後日本型循環モデル(教育、仕事、家庭のトライアングル。それが壊れたという話)がとてもわかりやすい。