『マイノリティの名前はどのように扱われているのか』

マイノリティの名前はどのように扱われているのか―日本の公立学校におけるニューカマーの場合』(リリアン・テルミ・ハタノ著、ひつじ書房)。

昨年新聞書評で見かけて気になっていた本を、やっと読めました。いろいろな問題提起を含んだ刺激的なおもしろい本でした。

マイノリティの名前はどのように扱われているのか―日本の公立学校におけるニューカマーの場合

マイノリティの名前はどのように扱われているのか―日本の公立学校におけるニューカマーの場合

在日ブラジル人・ペルー人の子どもたちの名前の使用についての研究書です。「名前の登録家庭において、「同化」(assimilation)」「適合化(domestication)」を強いる圧力がさまざまなレベルで、さまざまなマイノリティに対して、どのように向けられてきたかを、特にニューカマーに注目して、示す」(p.4)という本。

「名前」というのは、国家の制度と個人的アイデンティティの接点であること。また、個人は「名前」を鍵に公的制度に登録され(出生、出入国)、制度へアクセスし(教育、福祉)、また制度からアクセスされるのだということ。そしてこのシステムはみな日本語の名前を暗黙の前提としており、日本語以外の名前を持った個人が現れたときに、そのシステムの脆弱な部分が浮かび上がるということ。そういうことが、豊富な事例分析のなかから浮かびあがります。

以下は、ポルトガル語をかなり習得したあとでブラジルから来日した男子中学生の事例。

自分の名前を、日本人クラスメートが書くのと同じようにローマ字で書くよう指示されたが、彼には日本名はなかったので、ブラジル名「Everson」をそのまま書こうとしたところ、日本語に字訳した綴りである「Eberuson」と書け、と指導されたのである。彼は、自分の名前が日本式に「エベルソン」と発音されるのには慣れていたが、ローマ字表記でそれを書くように言われたとき、出生証明書やパスポート、外国人登録証明書などの公式文書に記載されているのと同じ綴りで書き始めた。それが正式な名前の表記だと知っていたからである。ところが、その名前の英語のテスト用紙に書いて数日後、返却された答案用紙を見て、彼は非常に驚き憤懣を覚えた。日本人英語教師は、彼の名前の綴りを日本語のローマ字表記に関するルールに従ったものに赤ペンで「訂正」しただけでなく、減点していたのだ。(102)

(このあと、この生徒を学校内の日本語教室で教えていたこの本の著者がこの話を聞き、生徒はあらためて英語教師と話をし、減点が取り消されたそうです。)


第1部「マイノリティの名前の扱い―日本の公立学校におけるニューカマーの子どもの名前―」が著者の博士論文に基づいた本書の中心ですが、第2部の「日本で出生登録がされたブラジル人の名前(2005−2007年)の分析」も、貴重です。これもデータが豊富で分析が丁寧。

たとえば、第2部の表17 「訓令式ヘボン式とは異なる表記例(日本名・日本姓)」では、パスポートに希望すれば認められるローマ字以外の綴り方の事例が整理されています。ポルトガル語の綴りとして読んだときに、日本語の音を再現できるような綴りが選ばれる事例についてです。

「イ」の音ひとつにしても、を使ったSAKURAY、ISHYなどもあれば、HIを使ってHIEDAなど、語頭の[h]がポルトガル語では発音されないことを援用した綴りもあることがわかります。

(…外国人姓名と公的登録、私的使用については、日ごろ、夫の姓名をアルファベットで書くか、カタカナでかくか、氏名の順はどうか、ミドルネームは入れるかどうかをケースバイケースで対応しているので、身近な話題でもあります。「このお名前では当行に口座のお届けはありません」という引き落とし申し込み書類がかえってくることも一度ではなくー)