『ラブリー・ボーン』と成仏映画
『ラブリー・ボーン』(Lovely Bones、2009年、ピーター・ジャクソン監督)を見ました。
主人公兼語り手は14歳の少女(シアーシャ・ローナン)で、殺人事件の被害者です。死者の視点から、その事件とそれにまきこまれた彼女の家族の悲しみ、混乱、苦しみを物語る語り手でもあります。
うーん、不思議な映画でした。『チェンジリング』のようにリアリズムの延長で撮ってある部分(たとえば殺人を暗示する場面の緊張感など)と、主人公の体験している死後の幻想的な世界が並置されているのが、なんとも不思議なかんじ。前者だけでいいんじゃないのかなあ、と思ってしまうのは、私の想像力が足りないせいでしょうか。(スタンリー・トゥッチの怪演分でひとつ加算して、星3つ)
日本的な言葉遣いでいうならば、「殺人事件に巻き込まれたまま成仏できないでいる少女の物語」ということになるのでしょうが。アメリカ的な言葉づかいでは、こういう死生観をどういい表わせばよいのでしょうか。アリス・シーボルトの同名の原作小説を読んだらわかるでしょうか。『現代アメリカの宗教地図』とか読み返してみようか。
それにしても、この種の「成仏映画」って、このごろハリウッドで流行ってるんでしょうかー。某飛行機映画もそうでした。
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