『シグニファイング・モンキー』

『シグニファイング・モンキー―もの騙る猿/アフロ・アメリカン文学批評理論』(ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニア著、松木昇、清水菜穂監訳、南雲堂フェニックス、2009年)の第一章「ある起源神話―エシュ・エレグバラとシグニファイング・モンキー(もの騙る猿)」を読みました(この章の翻訳はアフリカ英語文学ご専門の溝口昭子先生)。「黒人研究の第一人者ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアの代表作」で、原著は1988年刊ということですが、恥ずかしながら初めて知りましたー。

シグニファイング・モンキー―もの騙る猿/アフロ・アメリカン文学批評理論

シグニファイング・モンキー―もの騙る猿/アフロ・アメリカン文学批評理論

第一章の主題は、「黒人の口承伝統の至るところでくり返し現れ、解釈=通訳の行為についての教育の原風景」となっている、「ヨルバ神話の聖なるトリックスター的人物、エシュ・エレグバラ」(p.35)。その主題導入にこういう一節がありました。

奴隷にされた黒人がアフリカからもたらし、口承文学特有の暗記語呂合わせによって保ってきたという、秩序を表わす基本的な概念系統。それらが新世界での信仰体系を構成する有意義な要素およびその出自の痕跡として機能してきたことは、ほとんど疑いの余地がない。こうしたことがいかにして起こったのかという歴史についての疑問、つまり伝達や翻訳の手段、それに続く差異の回収手段についての疑問に対して、われわれは書かれた記録をもって答えることができない。それでも、この主題は、意味と信仰のアフリカ的体系の、分断された全体制の記号として機能している。黒人奴隷たちは、そうした体系を記憶から再現し、口承文学によって保ち、儀式、特にくり返し口承で物語が語られる儀式のなかで即興的に語ることで、秘技で封印されコード化された文化的出自図として後の世代に託して遺していったのである(第一章、pp.34-35。強調は引用者)

ここを読んで思ったのは、自分が英語学/言語文化論の授業で、ピジンクレオール、黒人英語について、西アフリカからカリブ海アメリカ南部へ向かう奴隷貿易航路を地図で示しながら説明するときに、こうした口承伝統について触れられていない(=わかっていない)、ということでした。この章で言及されている、オングの『声の文化と文字の文化』との関連も興味深いです。

第一章の議論はここが出発点で、このあと「口承文学が書記的なメタファーで説明」される「表象のひねり」(42)や、「言語の再現と言語の解釈の支配原理」(72)などが具体的に論じられます。

序章冒頭では、社会言語学者ウィリアム・ラボフの「黒人英語ヴァナキュラー」(Black English Vernacular)研究が言及されていました。

黒人ヴァナキュラーは、公立学校での人種差別撤廃と、黒人のアメリカ主流への広範な社会経済的統合によって必然的に犠牲になるだろうと公民権運動の時代にずっと予想されていたにもかかわらず、その予想に反して活況を呈し続けているのである。(中略)ラボフの研究が示しているように、黒人ヴァナキュラーは、黒人の記号的差異の極みであり、言語の黒人性を表わすものとして特異な役割を果たしてきた。奴隷制時代以降、黒人が個人や共同体レベルで文化的慣習をコード化してきたのは、この独特の言葉づかいにおいてなのである。

『シグニファイング・モンキー』は、黒人ヴァナキュラーの伝統とアフロ・アメリカン文学の伝統との関連を探求したものである。本書は、黒人ヴァナキュラーの伝統のなかに刻み込まれ、その結果、アフロ・アメリカン文学の伝統のかたちを特徴づけてきた批評理論を見きわめるものである。(序章、p.17。強調は引用者)

黒人英語については、授業で話すことがあります(→日記)が、特徴紹介にとどまっているところが大きいので、この本を読んで文学的背景を勉強します。