ながら授乳

大阪維新の会の発表した大阪市・家庭教育支援条例(案)が、ネットで話題になっています。基本的に時事ネタについてネットで発信するのは苦手なのですが、今回はちょっと関連して書いてみたいと思います。(条例案については、「家庭教育支援、全条文」で検索してください) 

条例案前文の一節にあるのが「近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。」

ツイッターで紹介されていたこの一節を今朝読んで、ほおお、へええ、「ながら授乳」っていうのね、と思いました。そして久しぶりに、自分が授乳していたころのことを思い出しました。

11年前、長男が生まれたとき、合計1年間、産休・育休をとらせてもらいました。仕事を休んでいるとはいえ、乳児の世話は24時間体制なので、大変だったと思います。でも、最近ではもう、乳児と一日中向き合っている日々がどういうものだったか、何がどうしんどかったかということを、感覚としてリアルに思い出せなくなっていました。

けれど、今回「ながら授乳」という言葉を聞いて―そしてそれが「親心の喪失と親の保護能力の衰退」と関連しているという条例案前文を読んで、その根拠のない暴論ぶりに呆れながら―自分が「ながら授乳」していたときの場面をくっきり思い出しました。

私は、たいてい新聞や本を読みながら授乳したり、ミルクを飲ませたりしていました。ある日それを見た実家の母が、子どもの声色を真似るようにして(といっても実際はまだ乳児だから話せないのですが)、「おかあさん、本読みながらミルク飲ませないで」と言ったのでした。それを聞いて別に私は傷つかなかったし、かといって、悔い改めて本を読むのをやめることもなかった。むしろ、かわったこというなあ、と思ったのでした。なんというか、本読みながらミルク飲ませるのが悪いなんて思わなかったんですよね。

ひるがえって現在の私は、もし今赤ちゃんにミルクを飲ませる機会があるなら、本なんて読まずに、新聞なんて読まずに、一瞬一瞬をいとおしみながら赤ちゃんの顔をみながら飲ませるだろうな、と思っています。だけど、これは、もう、私が乳児を育てていないから、もう、毎日3時間ごとに20−30分ずつかけて授乳しなければならない赤ん坊が手元にいないからこそ、思うことなんですよね。

ながら授乳だなんて、もったいない、と今は思う。だけど、あのときはとてもそんなことを思う余裕はなかった。本当に。そのことを思うと感傷的になり、涙がでそうになります。思い出の中でこそ輝いている乳児育児時代、でも、渦中にいたときは、やっぱり、しんどかった。あの頃はそのしんどさにさえ、気が付かなかったけれど。