『働く女子のキャリア格差』

『働く女子のキャリア格差』国保祥子、ちくま新書

おもしろかったです。これから就職するひとたち、また、既に働いている人たちにも、できるだけ多くの人に読んでほしい本だと思いました。以下、印象に残ったところを引用します。

1章女性にまつわる誤解と矛盾で事例5つあり、上司から見たストーリーA面と、当の女性から見たB面が描かれていて、問題の本質が見えます。育児中の女性に配慮したのに辞めると戸惑う上司と、配慮に罪悪感を感じ追いつめられる女性と。 上司としてはリスクヘッジのために欠勤しても影響のないタスクをあてるがその結果「達成感や成長の実感を味わう機会が少なく、また自分がチームのお荷物になっているという罪悪感を抱きやすいことから、女性は適応するためには図々しくなるか、自らの就労意欲を下方修正することが必要になる」(51)

「やっぱり女性はダメだ」という認知バイアス。「女性や母親と言う目立った特徴があることで「こどもを生んだ女性は仕事への意欲が低くなる」と一般化されて批判される傾向」「こうした職場環境では、自信のある男性と、自己評価の低い女性が育ちやすく」(65)
→そして、こうした他者からの認知バイアスを、当事者である女性が、内面化してしまいがちだということ。

手間や時間が愛情の指標になるような価値観から、次世代を解放してあげてください」「海外の母親は毎日キャラ弁を作りませんが、彼女たちのこどもにかける愛情は日本の母親よりも少ないと思いますか?」(184 )
→私自身、朝、中高生の弁当を作っていますが、ワンコイン渡して食堂に行ってと言えばいいところを、少々無理してもできるだけ弁当詰めようということもあり、そしてそれがいやでもなく、自分の内なる母規範を感じることがあります。

帯にもある△「権利主張型」と〇「組織貢献型」の二項対立や、「女性に対して能力開発の機会を提供することで、女性たちは権利主張者から組織貢献者に変わる」(116)というところには、正直ひっかかるのですが、4章の「ぶら下がりワーキングマザーvs働きがい」で詳述されている趣旨はよくわかります。 悪代官のように「悪意を持つ個人を退治することが問題解決になる」構図は社会では多くない、ということ。「個人の力ではどうしようもないこと…または個人が無関心であることが積み重なって、構造として問題が発生している」(181)

→自分のことを考えると大学教員という仕事は組織に貢献してさえいればよいわけではありません。個人プレーも大事というか、自分の研究を続けること、その成果を発表することは、やはり、とても時間がかかり、また、気力のいることで、そのためには、権利主張が大事というか、自分の時間とスペースの確保がかなり大事になるのです。そのあたりの職業別応用編については、各読者の宿題、ということでしょうー。

働く女子のキャリア格差 (ちくま新書)

働く女子のキャリア格差 (ちくま新書)